母の日、今年も去年と同じく、近くの糸島名物市場「伊都菜彩」の洋蘭フェアに立ち寄り、糸島産の蘭を私の母・旦那さんの母それぞれに選んだ。
夜は、仕事関係者の飲食店の新しい店舗でこちらの両親を招いて母の日ディナーを開催。
私は間近に迫る出産・育児と、今後の仕事との両立について色々と母上のご経験からのお言葉を頂く。
まぁ予想通りだが、結局その食事はその後終始、経営指南。ん、母に感謝する日はどこへ行ったのだろう。
つくづくこれは30年前の異国における外国人からの事業継承だという感覚がある。家族だからといって分かり合えるかと思ったらそれは大間違いで、結局食事の帰りには「何がいいたいのか全くわからない」という状態になっている。具体的にtacticsが導かれるとかではなく、受け取れるのは熱意、それだけ。圧力に対して負の感情だけが残り、こちらはこちらで沸いてきた「なにくそ」エネルギーを自分達の活動に注ぐしかない、という総括になる。
東京で13年間暮らしたUターン息子+Iターン嫁のタッグと、地場に根付いて生きてきたこちらの両親では、それはそれはコミュニケーションの仕方から価値観から見てきた世界から経験から全てにおいて異質である。私なぞは九州の文化的バックグラウンドもなく、対極ともいえる世界からやってきたエイリアンだ。共通するのは「会社を存続させる」という目的だけ。翻訳こんにゃくがあればどんなに楽だろうか。。。
通常大企業や外資系優良企業などで導入されている体系化されたCEOのサクセッションプランと本質は何も変わらないが、血縁はそれこそ義理人情で成り立つ非合理な世界そのもの。その中で、常に実務の中で起こる事ベースで、結果を出しながらのOJT。プライベートでのコミュニケーションで価値観・生き様そのものの継承。
たまに立ち止まって振り返ると、1年前と比べて今は確実に歩み寄っているし前に進んでいる。
それはお互いが意識して「場を創る」ことをやめないからだと思う。
特に集まる理由が見つからなくても、経営について話しをしようという名目でなくても、とにかく組織外で一緒にいる「場」を意図的に創る。正月だって母の日だって父の日だって誕生日だって法事だってなんだっていいのだ。
ぶつかってぶつかってぶつかって・・・そのぶつかりの中で10%でも、大事なことが見えて実行出来ればいいじゃない。お互いに理解出来る事が増えていけばいいじゃない。
同じ事を同じフェーズでやっている人なんて周りにいないので、変革のスピード感ていうのは客観的にどうなのかわからないけど、とにかく「良い方向に変わっている」現実が私の生きている実感である。
世の中に、楽な生き方などない。
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