今日は箱崎にある九州大学のビジネススクール(通称QBS)のオープンキャンパスに家族3人でお出かけ直前に授乳して夫に娘を見ててもらって2時間半、教授や在学生・修了生の話を聞き、英語の模擬授業なんかも受けた。
質とかそういうことに言及するのは控えるとして、目的意識を明確に持ってポジティブに全てを吸収していけば、色々とこの地で人さまのお役に立てそうな力を身につけられるだろうという感触だった。地域の次世代の人脈だけでなく、地域活性化(グローバル化)の課題にアプローチする接点が沢山ありそうな感じ。そしてなにより「胆力」のつきそうな感じ・・・。
目の前に明確にやる事があるのでMBA取得自体に対外的な意味は全くないしそういう余計な事は考えない。漠然と何かを学べればいいとかいうのはプログラム自体に依存することになる。環境に依存しない「自律」した個さえあれば、どこにいてもどんなプログラムでもどんな人達とでも、あまり関係ないのだ。投資の価値を最大化するのは自分......自分次第。ということで試験を検討中。
今日、そのQBSの在校生・修了生の方々の話を聞いていてdiversityについて思うところがあった。
今日いらしたのは皆さん九州で生まれ学び就職(あるいは起業)した地域密着系の方々。何が一番の学びだったか?という質問に対し、
「ずっと同じ地域で似たような環境の人々と生きてきたので、QBSで様々な立場(経営者・コンサル・士業・公務員etc)・年代(20代~50代)・国籍(アジアの外国人留学生少々いる)の人々と議論/人付き合いし、多様な視点が刺激となり世界が広げられた。よくある異業種交流会は多様な出会いはあってもその場だけだが、2年間一緒に経営を学びながら時間を過ごすことはそう出来ない。」と答えていた方がいた。
改めて自分にとってのdiversityを考えた時、次に飛び込んでいく場はここかも、と感じた。ここに集う人達はdiversityに慣れていないんだ、それこそが、私が今挑んでいるdiversityの領域だ!と。
私は都内私立中高大学と進む間、途中米サンフランシスコに短期留学したり、米国大学に進学予定だったので一定期間現地の学校のクラスに出入りしてたり、日本国内でも10代から外国人とのお付き合いも多かった。大学は学生も教授も様々な国から来ていて外国人教授についていた。国籍だけでなく周りにいる人のSexualityにもかなり幅があり、ゲイもバイも深く付き合ってきた。仕事でも、国籍でいったら多分15カ国位の人々と共に働いた。その中で衝突したりご機嫌とったりを繰り返してきたもんだから、勝手に自分は多様性には強い!と勘違いしていたのだ。
がしかし。結局、学生時代~職場を通して、自分の周りにいた人は自分と同じような機会を沢山得ている人達ばかりだし、仕事で色々なところに行くのはともかく、生活拠点は首都圏を動いていなかった。似たような教育を受け、首都圏ベースで海外に行く機会が頻繁にある人達、またその価値観を理解出来る人達。外国人でも、グローバル市場で多国籍企業とビジネスをしていた人達。いわゆる、多様性に慣れている人達。そういう意味では、国籍・年代・セクシュアリティ・価値観にいくら幅があると言っても、結局生態としては同質ばかりなのだ。
こちらに来てからは、自分の世界の狭さを痛感し、新たな扉を開いた。また一つ、許容の空間ベクトルが増えた。
多様な生き方/価値観/立場、そこから出てくる物事に対する意見を、まず机上に出し、それを活用し物事を進めていくリーダーシップ(≒ダイバーシティマネジメント力)のベースになるのは、
・自分の生活範囲内で、属性の異なる人・文化・価値観に触れるだけでなく
・地理的に生活拠点を動く (国内でも海外でもとにかく、質の違う経済圏/文化圏に行く)
・そして究極的には生物多様性を体感する (人間だけではなく色んな生命体と共存しながら生きる=生態系の一部として人間が存在している状態を実感すること)
こういう経験をどれだけ積んだかだと思う。まずは、受け入れ認める事。
こんだけ世の中多様化している。どの地域で何をやるにしても、体系的に学ぶ知識以前に、最低限人として身につけておきたい。自分はまだまだ発展途上。Diversityももちろんだけど終わりがないです。
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