寝室の窓から景色を見て夢を見てるのかと思った。
霧に慣れていないので、災害にでも巻き込まれたのか、と一瞬ひるんでしまうくらい。
森の中って年中こんな景色が見えるのだね。雲の上みたいで下界が遠いわ。。
こんなに湿度が高かったら携帯の電波もそりゃ入らない..
朝6時に東京出張へ出かける旦那さんを送り、夜の日課であるヨガを、朝に実施。
夜は真っ暗なので隣の森の木々が見えない中やっていたけれど、 窓を全開にして朝日と霧にまみれた森をバックに、小1時間のいつものyoga practiceをしてみると また違った感情が湧きあがってとても新鮮。
私のやっているアシュタンガヨガの教えの1つに、「自然のエネルギーと自分の体のエネルギーが一体になるのを味わう」というのがあるのだが、本場の森でやると更にそれが強く味わえていい。
私は森。森と私。森じゃなくてこれは私。
って書くとちょっと怪しいけど。。。
吸い込む空気はずっしりと重みがあり、深緑の香りが芳しく、マイナスイオンとよばれているものを食べているかのような感覚だということです。
福岡糸島には海辺のヨガスタジオ(Lotus)があり、本場の浜辺でヨガをしている人たちがいる。沖縄とかでも良くやっているけれど、潮風・海風を吸いながらっていうのも凄そう。体の健康と精神の向上に、大自然の力は大きい。目の前に広がる景色と自然の奏でる音で、普段使わないレベルまで五感を使う事によって、心が開け、体の中のストレスを全て呼吸によって吐き出せる。東京のマンションの狭い空間でやっていたヨガとは全く別物。
(ちなみに私がヨガと出会ったのは7年前位で「確実に自分の心身の健康にとって良いもの」と位置付けて日常に取り入れてちゃんとやり出したのは1年前位。婦人科系の病の痛みにも効くので、薬を飲むのをやめて今はヨガに頼っている。アメリカでは不妊治療としても取り入れられていて、実際に私のヨガの先生(幼馴染の母上)は、ヨガを始めたおかげで子供を授かった。
きっかけは商業色の強いmodernなヨガスタジオのクラスでも何でもよいと思うけれども ある程度習って深い呼吸と精神集中が出来るようになったら、 意識していなくても、日常生活での集中力が増してくるというのが実感としてある。 2500年前に作られたヨガの根本経典の教えを読んだりすると、自分で空間を作って、オリジナルなヨガポーズを考えたり、と発展していく。ヨギーな友人から、ヨガの世界に対する思いや考え方を聞く事によって、自分にとっての「ヨガとの付き合い方」も深く深くなっていっている。)
忙しい都心生活では感じもしなかった色々な感覚が森ヨガで蘇る。
この土地で得られるパワーを形にして人々に与えられるビジネス人であるために、「やりたい事やり放題の時間で得るものを大切にしながら早く社会的/経済的価値を生み出さないといかん」、という焦りの気持さえ出てくる。 ヨガの先生に育てられた幼馴染が社会起業家になっているのを考えると、自分の精神状態を高く保ち続けられる人が、社会にとって+のものを生み出すというエネルギーの流れの法則を信じたいとも思う。
極限まで自分の心身を追い込んで、私生活をある程度犠牲にして生み出される知的な価値があるというのも十分学んだけれど、それで+を生み出し続けられる人間は限られている。
私自身は、感性が死んでしまうと何も出来なくなるので、それが十分に磨かれ活かせる生活をしながら、溜まっていく+のエネルギーの吐き出し口の焦点を社会のとあるイシューに合わせていくのみ。
のみ、、ってそんな簡単ではないし依然頭はまだ霧の中だけれども、何はともあれ生活環境のパラダイムシフトが良い方向に後押ししてくれていてよい感じでございます。
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