1週間ほどゲリラ豪雨がひどく浮かない天気だったのが、今日やっと晴れの日を迎えた。
水田が芝生のように見える程美しい。6月の田植え時は緑がほとんど見えなかったが、もうこんなに。
長い雨の後はカエルの合唱が夜中鳴りやまず、山を散歩していると500匹位いるんじゃないかと思える位のハーモニーでうるさい。それもそれで、自然を物語る雷山の1つの名物として、なんだか耳に馴染んできた。
小学生の時以来、本当に1度もお目にかかっていなかったカタツムリがガーデンの柵にポツン。
こんなかわいかったっけ。。。紫陽花と同じく”梅雨時の象徴”のように、お絵かきでよく書いていた気がする。
玄関脇のリッチフィールドは葉を増やしツボミが色々な方向に広がり、2番咲きがalmost満開。雨が続いても花びらは綺麗に開いており、淡い白が美しい。4月に植えた後、1番咲きでは5つ程の花が咲いて散ったが、7月頭にまた倍以上の数の花が同じように可憐に咲いた。四季咲きの種は何度も花開くのを見れるので、手入れも楽しい。1度咲き終わった後にまた新しい葉を生やしツボミをつける成長過程の早さには驚いた。
何一つ、変わらない風景というものはない。
田舎は変化が少なく何もかも停滞しているというのは、ある意味では大間違いだ。自然の中に身を置いていると、刻一刻と全ての生命が変化をする姿が感じれる。それに敏感に気づきながら日々を送る事は、それだけで大きな刺激になるし、自分が1歩1歩成長していく為の原動力となる。東京の渦巻く情報の刺激、海外での未知に触れる刺激によって突き動かされていた日々と比べて、そこにただ在る自然の微々たる変化に突き動かされる毎日は、漢方治療を続けているかのような感覚。日本人が本来持つ生命観や自然観に忠実な生き方。歪なデジタルさから解き放たれる精神。Uhhh.... I'm SO Japanese lately.
さて。移住から3カ月経過。
生活は落ち着いて、人の縁にも恵まれ、基盤作りはso far好調。
今週は家族で色々ときつい経営議論があった。
家族で激しくぶつかり合うのは、だいたい良い変化の兆し。
危機意識が高まって1人1人が、壁を乗り越えようと何かしら行動を起こす。敢えて触れたくないような事についてもコミュニケーションをとらなければ進まないので、とにかく徹底的に話して課題を浮き彫りにし優先順位をつけて 1つ1つ取り組んでいく。
私個人の関わり方、活かし方についても議論されるようになってきたという事自体が、まずはここに来てからの日々の成果だと思う。
自分の役割を強く認識出来たと同時に、家族経営の良い面を目の当たりにした気がする。
情緒的な繋がりが冷静な判断を失わせる事は多々あるが、その繋がりが変化に向けた結束力となった時は、通常の組織よりはるかに強い力になるのだなぁ、と。
そんなこんなで、最近は頭の中がいっぱいになりつつある。 今年2月に仕事を辞めて一旦頭の中を真っ白にリセットして移住をしたが、その後3カ月経って今やってる事は...私個人で進めているプロジェクトも、夫婦二人三脚でとっている仕事も、結局企業経営をなんらかの形で支援するコンサルティングサービス業。
夫婦経営のベンチャー企業に勤め経営者夫婦と共に過ごした多くの時間、コンサル業界で多くの企業と接した時間、全てはこのためにあった!!!!!と都合よく解釈出来てしまう私の楽観主義的思考はいかがなものか。。。
もちろん夫と共に描いてきた人生のビジョンあっての「今」なんだろうし、運と縁と直感に任せて積み上げてきた過去の経験あっての「今」でもある。
ともかく、自分とは本来縁もゆかりもない九州という土地で、今までの経験を活かす事が出来始めている事実は事実。
人間っていうのは本当に正当化がうまい。全ては理にかなっている、と思い込む事が出来る。人生における重要な判断を直感で決めるタイプの人って、特に正当化力に長けているのだと思う。迷いながらも、立ち止まりながらも、寄り道しながらも、ある時点に来ると結局は一本筋が通った生き方をしていると強く思えたりするのだから。本人が納得して突き進んでいけるのなら、何かを選択する理由なんてものはなんでもいい。
最終的に、幸せを手に出来るかどうか。幸せを人に与えられるかどうか。
水田が芝生のように見える程美しい。6月の田植え時は緑がほとんど見えなかったが、もうこんなに。
長い雨の後はカエルの合唱が夜中鳴りやまず、山を散歩していると500匹位いるんじゃないかと思える位のハーモニーでうるさい。それもそれで、自然を物語る雷山の1つの名物として、なんだか耳に馴染んできた。
小学生の時以来、本当に1度もお目にかかっていなかったカタツムリがガーデンの柵にポツン。
こんなかわいかったっけ。。。紫陽花と同じく”梅雨時の象徴”のように、お絵かきでよく書いていた気がする。
玄関脇のリッチフィールドは葉を増やしツボミが色々な方向に広がり、2番咲きがalmost満開。雨が続いても花びらは綺麗に開いており、淡い白が美しい。4月に植えた後、1番咲きでは5つ程の花が咲いて散ったが、7月頭にまた倍以上の数の花が同じように可憐に咲いた。四季咲きの種は何度も花開くのを見れるので、手入れも楽しい。1度咲き終わった後にまた新しい葉を生やしツボミをつける成長過程の早さには驚いた。
何一つ、変わらない風景というものはない。
田舎は変化が少なく何もかも停滞しているというのは、ある意味では大間違いだ。自然の中に身を置いていると、刻一刻と全ての生命が変化をする姿が感じれる。それに敏感に気づきながら日々を送る事は、それだけで大きな刺激になるし、自分が1歩1歩成長していく為の原動力となる。東京の渦巻く情報の刺激、海外での未知に触れる刺激によって突き動かされていた日々と比べて、そこにただ在る自然の微々たる変化に突き動かされる毎日は、漢方治療を続けているかのような感覚。日本人が本来持つ生命観や自然観に忠実な生き方。歪なデジタルさから解き放たれる精神。Uhhh.... I'm SO Japanese lately.
さて。移住から3カ月経過。
生活は落ち着いて、人の縁にも恵まれ、基盤作りはso far好調。
今週は家族で色々ときつい経営議論があった。
家族で激しくぶつかり合うのは、だいたい良い変化の兆し。
危機意識が高まって1人1人が、壁を乗り越えようと何かしら行動を起こす。敢えて触れたくないような事についてもコミュニケーションをとらなければ進まないので、とにかく徹底的に話して課題を浮き彫りにし優先順位をつけて 1つ1つ取り組んでいく。
私個人の関わり方、活かし方についても議論されるようになってきたという事自体が、まずはここに来てからの日々の成果だと思う。
自分の役割を強く認識出来たと同時に、家族経営の良い面を目の当たりにした気がする。
情緒的な繋がりが冷静な判断を失わせる事は多々あるが、その繋がりが変化に向けた結束力となった時は、通常の組織よりはるかに強い力になるのだなぁ、と。
そんなこんなで、最近は頭の中がいっぱいになりつつある。 今年2月に仕事を辞めて一旦頭の中を真っ白にリセットして移住をしたが、その後3カ月経って今やってる事は...私個人で進めているプロジェクトも、夫婦二人三脚でとっている仕事も、結局企業経営をなんらかの形で支援するコンサルティングサービス業。
夫婦経営のベンチャー企業に勤め経営者夫婦と共に過ごした多くの時間、コンサル業界で多くの企業と接した時間、全てはこのためにあった!!!!!と都合よく解釈出来てしまう私の楽観主義的思考はいかがなものか。。。

もちろん夫と共に描いてきた人生のビジョンあっての「今」なんだろうし、運と縁と直感に任せて積み上げてきた過去の経験あっての「今」でもある。
ともかく、自分とは本来縁もゆかりもない九州という土地で、今までの経験を活かす事が出来始めている事実は事実。
人間っていうのは本当に正当化がうまい。全ては理にかなっている、と思い込む事が出来る。人生における重要な判断を直感で決めるタイプの人って、特に正当化力に長けているのだと思う。迷いながらも、立ち止まりながらも、寄り道しながらも、ある時点に来ると結局は一本筋が通った生き方をしていると強く思えたりするのだから。本人が納得して突き進んでいけるのなら、何かを選択する理由なんてものはなんでもいい。
最終的に、幸せを手に出来るかどうか。幸せを人に与えられるかどうか。
正当化力、大事なんじゃない?それがアイデンティティーの源だと思うよ。
蛙の合唱、いいね。子供の頃の原風景の一つだ。
投稿情報: maltambassador | 2010/07/06 01:52
きっと源ではありますよね。確立には「完全燃焼力」が必要なんだとは思いますが。
私は蛙の合唱は子供のころの記憶にないですが、自然の中で子供のころと同じ体験をする瞬間があるというのも、自己を見つめられていいですね。自分探すとか振り返るとかではなく、バラバラな破片を“統一”する感じ。脳のカイロプラクティック。
投稿情報: Sumeba-Miyako | 2010/07/06 13:29