こちらに来てもうすぐ早2ヶ月が経とうとしている。
日々の生活の中で新たな人達との交流、モノ/サービスの質・価格やトラフィック(人/モノの流れ)の観察を通して、変化をじわじわと実感し続けている。
例えば。スピード違反の取り締まりをやっている付近の道路を通る時必ず、対向車線車がパッシングライトと同じ要領で、「取り締まり実施中」のサインを送ってくれるとか。実は人生で初めてだった。や、優しい。。。
ともかく現段階の全体感としては人と人が寄り添って気遣いながら共生している、その心の距離の近さみたいなものが新鮮で、最初は気持ち悪かったが、次第に慣れ今は心地よくなってきた。
そういうのも含め、日常生活の細かい変化の背景を突き詰めていくと、概ね結局はこれ。
ほぼ金と人の集まり具合に由来する。 この数値の違いを日々実感しているわけか。
まだ東京にいる時、移住について考え「これは失いたくないな・・・」「失ったらどうなるだろう」と思っていたものは、まさに経済圏としての規模感=「金と人が集中する事の魅力」だった思う。より競争原理の働く環境で鍛えられた人材と(あくまで体制の枠の中で)影響度の大きい大規模な活動が出来る、ということ。
シンプルに直観的に数字を見ても、今いる福岡は東京に比べて、一人当たりのスペースのゆとり:約6倍、競争原理の働く力:約1/3。時間・空間・他者との摩擦、全て緩くなる。
消費行動にも自然と大きな変化が。
外食・ファッション・その他娯楽教養中心の消費スタイルから、産直食材・家庭菜園・生活用品中心に。家計収入は半分、特に意識しなくても支出額は東京の時の37.5%になった。
家計の支出入の数値が下がる事も、来る前はかなり感情的に恐れていた懸念事項だったわけだが。。。
約2ヶ月間の生活で改めて感じるのは、お金は人間の幸福感/豊かさの物差しではないということ。平均賃金が低いイコール絶対的な労働価値が低いでもない。姿勢や気持ちでpricelessな感動を与えてくれる仕事人に沢山出会ったり、サービスの質の良さを実感したりするとそう思う。東京は確かにexcitingだけれども、今は東京にかけられていた魔法が解けたかのように、今までと違う視点で物事が見えるようになった。
お金では手に入らないもの、自分にとってpricelessだと感じれるものを多く見つける事が出来れば、人生のクオリティは無限にあげる事が出来るのかもしれない。空間時間のゆとり・自分で生活の営みをこなす事によって得られる衣食住の充実度がいかに人の暮らしを豊かにするかは、ここに来て生活してみるまで実感できなかった。
もちろん幸福度なんて数値化するもんでもないし、外部からの刺激ではなく自分の脳でしかコントロール出来ないものなのだというのはどこでもかしこでも言われている事だけれど。今自分を幸せにしてると思い込んでいるものを、一旦手放して捨ててみることで、新たな人生の楽しさを手に入れたり、思いもよらないチャンスが舞い込んだり、自分の知らない豊かさに触れる事が出来たりする。人生の転機っていうのはそういう事なのかな、と。
数値では量れない豊かさは確実にある。金だけではなく、あまりに「客観的な基準」というのに振り回される癖がしみ込んでいる時・数字合わせに必死になっている時、ちょっと一呼吸おいて、数値には表れない守るべきGood thingsを見逃さないようにする。pricelessな感動やワクワクが本当はどこにあるのかを、立ち止まって考える。そんな行動を自分の中に増やしていけたらいいなぁと思う。未だ見ぬものに対して人は恐怖を抱くものだが、”もしかしたらそこに豊かさがあるのかもしれない”という希望的観測は、どうにもならないものに固執するよりもスピーディーな解決策になるかもしれないから。
例えば。スピード違反の取り締まりをやっている付近の道路を通る時必ず、対向車線車がパッシングライトと同じ要領で、「取り締まり実施中」のサインを送ってくれるとか。実は人生で初めてだった。や、優しい。。。
ともかく現段階の全体感としては人と人が寄り添って気遣いながら共生している、その心の距離の近さみたいなものが新鮮で、最初は気持ち悪かったが、次第に慣れ今は心地よくなってきた。
そういうのも含め、日常生活の細かい変化の背景を突き詰めていくと、概ね結局はこれ。
ほぼ金と人の集まり具合に由来する。 この数値の違いを日々実感しているわけか。
まだ東京にいる時、移住について考え「これは失いたくないな・・・」「失ったらどうなるだろう」と思っていたものは、まさに経済圏としての規模感=「金と人が集中する事の魅力」だった思う。より競争原理の働く環境で鍛えられた人材と(あくまで体制の枠の中で)影響度の大きい大規模な活動が出来る、ということ。
シンプルに直観的に数字を見ても、今いる福岡は東京に比べて、一人当たりのスペースのゆとり:約6倍、競争原理の働く力:約1/3。時間・空間・他者との摩擦、全て緩くなる。
消費行動にも自然と大きな変化が。
外食・ファッション・その他娯楽教養中心の消費スタイルから、産直食材・家庭菜園・生活用品中心に。家計収入は半分、特に意識しなくても支出額は東京の時の37.5%になった。
家計の支出入の数値が下がる事も、来る前はかなり感情的に恐れていた懸念事項だったわけだが。。。
約2ヶ月間の生活で改めて感じるのは、お金は人間の幸福感/豊かさの物差しではないということ。平均賃金が低いイコール絶対的な労働価値が低いでもない。姿勢や気持ちでpricelessな感動を与えてくれる仕事人に沢山出会ったり、サービスの質の良さを実感したりするとそう思う。東京は確かにexcitingだけれども、今は東京にかけられていた魔法が解けたかのように、今までと違う視点で物事が見えるようになった。
お金では手に入らないもの、自分にとってpricelessだと感じれるものを多く見つける事が出来れば、人生のクオリティは無限にあげる事が出来るのかもしれない。空間時間のゆとり・自分で生活の営みをこなす事によって得られる衣食住の充実度がいかに人の暮らしを豊かにするかは、ここに来て生活してみるまで実感できなかった。
もちろん幸福度なんて数値化するもんでもないし、外部からの刺激ではなく自分の脳でしかコントロール出来ないものなのだというのはどこでもかしこでも言われている事だけれど。今自分を幸せにしてると思い込んでいるものを、一旦手放して捨ててみることで、新たな人生の楽しさを手に入れたり、思いもよらないチャンスが舞い込んだり、自分の知らない豊かさに触れる事が出来たりする。人生の転機っていうのはそういう事なのかな、と。
数値では量れない豊かさは確実にある。金だけではなく、あまりに「客観的な基準」というのに振り回される癖がしみ込んでいる時・数字合わせに必死になっている時、ちょっと一呼吸おいて、数値には表れない守るべきGood thingsを見逃さないようにする。pricelessな感動やワクワクが本当はどこにあるのかを、立ち止まって考える。そんな行動を自分の中に増やしていけたらいいなぁと思う。未だ見ぬものに対して人は恐怖を抱くものだが、”もしかしたらそこに豊かさがあるのかもしれない”という希望的観測は、どうにもならないものに固執するよりもスピーディーな解決策になるかもしれないから。
それはそれで地方マジックなんじゃないのかな~。こういう事実感するには、やっばり人が動くってのがみそなんだろうな。
東京にいても金じゃない楽しみは見つかるけど、ゆとりのなさと人々の殺伐とした雰囲気が、金じゃない豊かさから人を遠ざけてしまう事が多いように思う。
いくら便利でも効率的でも、分業しすぎて人間が営みとして行うべき日々の活動を他人がやってしまうってのも考えものだよね。
投稿情報: masappuz | 2010/05/26 12:27
福岡へようこそ!ずっと福岡で生まれ育ってるものにとっては、東京には憧れる部分が沢山あります。ないものねだりなんでしょうね。いいとこと思ってもらえるだけでとっても嬉しいです★それにしてもガーデンが素敵ですね~、糸島に住んでる人は心がゆったりイキイキしている感じがします。私も糸島大好きです!
投稿情報: hataboririna | 2010/05/26 13:14
>masappuz
東京にいても両立できる価値観だとは思うけど、なかなか難しいよね。消費誘惑凄いし。
周りがみんな敵だ!みたいな意識の人沢山いるしね。
地に足のついた行き方が30歳になる前に始められて良かった。。。と思います。おそっ
>hataboririnaさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
最近糸島地元付近で会う人会う人に、「本当に食が新鮮で美味しくて自然が素晴らしくいいところですね~」って声掛けしてます。そうすると本当に喜んでくれます。
よそ者ながら、福岡市内の方々にも、色々と糸島の魅力を堪能してもらいたいな~と思ってます。
投稿情報: Sumeba-Miyako | 2010/05/26 17:21
オードリー・ヘップバーンは、空が青いだけで幸せと言ったとか。僕は、今日生きているだけで幸せだと思ってる。
投稿情報: maltambassaror | 2010/05/26 22:43
素敵ですね。最強のメンタリティはそれかもしれん。
投稿情報: Sumeba-Miyako | 2010/05/27 13:59