昨日は一日中しとしとの雨。
山の上からは、霧で辺りが全く見えず、一日中isolatedな感覚が強烈だった。
視界が明るく遠くまで広がっている時と 半径10m以内に限られている時の心理状態の違いは明らか。
「見えている」ということによる解放感・安心感、
「見えない」ことによる閉塞感・不安感・孤独感、
人間の五感と精神状態の強い結びつきを再確認する。
通信ネットワーク技術の進化によって、距離に関係なくモノ・ヒト・情報がリアルタイムで見れて聞けるようになったことで、リモートでも単純接触効果(*接触する回数に比例して対象に対する好感度がアップすること)が簡単に得られる昨今。特にSNSの普及は、遠く離れても友人との接触をリアルタイムで強く感じれるので、ここに来ても相当な安心感につながる。実際に近くにいる感覚とは全く別ものだけど、それでも効果はかなり大きい。
触ったり味わったり嗅いだりする事はまださすがに出来ないが、少なくとも「見えている」という感覚だけでもこんなに大きな心理状態の変化があるのだから、企業組織においてもコミュニケーション手段としてSNSが取り入れられていくのには納得がいく。
社員は安心して働きたいのだ。
人間は健康であれば基本的に「見たい」し「見られたい」生き物だ。
他者が考えている事を「知りたい」し自分の行動の成果を「見られたい」し「実感」したい。
その欲求が強ければ強いほど、満たされなくなると、急に「見たくない」「見られたくない」状態にまで心が病んでしまう事がある。
特に人の集合体の規模が大きくなればなるほど、一人一人のこの欲求を満たしていくのは難しい。
人を束ねる立場にいる人間が、人の「心」にみな敏感だとは限らないし。
評価軸で「成果」が重視されがちな組織では、しょうがない事だ。
こちらで出会う中小企業の経営者が、人間味があって面倒見が良いと感じるのは、単純に直接の社員との接触回数が多く、組織全体のチームワークを意識して個々の精神的な類似性を高める事に時間を使える範囲の人数を束ねているからにすぎないのかもしれないけど、人間の5感に対する敏感さが東京で出会う人々と圧倒的に差があるなぁと感じる。
まぁ、人間一人でケア出来る人の数なんて、それくらい限られているんだろう。
まずは身近な人に精一杯のアテンション・ケアが出来る人間になっていきたいな。
対象範囲を広げるのはそれからでいい。
-------------------------------------------------------------------- ところで、
縁あって前の職場で同じ部署に所属していた女性と昨日お会いしたのだけど、
何か運命的なものを感じる出会いだった。
彼女とは職場でちょうど入れ違いくらいだったらしいので、名前しか知らなかったのだが
私のこの度の門出に際して、お世話になっているコーチが紹介してくれた。 福岡にいながらして、東京で同じ会社に勤めていたという属性の人に出会う事自体珍しいけど、 職場だけでなく、そこで何を感じたか、プライベートでどんな人と出会って深く関係を持ってきたか、どんな理由で今の仕事をしているのか、などなど、話をすればするほど心の距離が近くなっていった気がする。 単純にもっと一緒に時間を過ごしたいと思ったのもあるし、これからの福岡での人脈作りの確実なキーパーソンとなるであろう彼女との縁を、今後さらに深めていきたいと思っている。
接触回数は1回だけれども、類似性の心理学というのは、「共通項の数」ではなくてその類似性の「深さ(比率)」で、その相手に好意を持つ度合いが変わるのだという。
類似性の深さね~。
これはある種一方の勝手な思い込みのところもあるけど、自分が感じた感覚的なもの(だけ?)を信じてる私にとっては、とっても衝撃的な一日だった。 美味しいお魚が食べれるお店に連れて行ってくれて、話を傾聴してくれた彼女に感謝。
山の上からは、霧で辺りが全く見えず、一日中isolatedな感覚が強烈だった。
視界が明るく遠くまで広がっている時と 半径10m以内に限られている時の心理状態の違いは明らか。
「見えている」ということによる解放感・安心感、
「見えない」ことによる閉塞感・不安感・孤独感、
人間の五感と精神状態の強い結びつきを再確認する。
通信ネットワーク技術の進化によって、距離に関係なくモノ・ヒト・情報がリアルタイムで見れて聞けるようになったことで、リモートでも単純接触効果(*接触する回数に比例して対象に対する好感度がアップすること)が簡単に得られる昨今。特にSNSの普及は、遠く離れても友人との接触をリアルタイムで強く感じれるので、ここに来ても相当な安心感につながる。実際に近くにいる感覚とは全く別ものだけど、それでも効果はかなり大きい。
触ったり味わったり嗅いだりする事はまださすがに出来ないが、少なくとも「見えている」という感覚だけでもこんなに大きな心理状態の変化があるのだから、企業組織においてもコミュニケーション手段としてSNSが取り入れられていくのには納得がいく。
社員は安心して働きたいのだ。
人間は健康であれば基本的に「見たい」し「見られたい」生き物だ。
他者が考えている事を「知りたい」し自分の行動の成果を「見られたい」し「実感」したい。
その欲求が強ければ強いほど、満たされなくなると、急に「見たくない」「見られたくない」状態にまで心が病んでしまう事がある。
特に人の集合体の規模が大きくなればなるほど、一人一人のこの欲求を満たしていくのは難しい。
人を束ねる立場にいる人間が、人の「心」にみな敏感だとは限らないし。
評価軸で「成果」が重視されがちな組織では、しょうがない事だ。
こちらで出会う中小企業の経営者が、人間味があって面倒見が良いと感じるのは、単純に直接の社員との接触回数が多く、組織全体のチームワークを意識して個々の精神的な類似性を高める事に時間を使える範囲の人数を束ねているからにすぎないのかもしれないけど、人間の5感に対する敏感さが東京で出会う人々と圧倒的に差があるなぁと感じる。
まぁ、人間一人でケア出来る人の数なんて、それくらい限られているんだろう。
まずは身近な人に精一杯のアテンション・ケアが出来る人間になっていきたいな。
対象範囲を広げるのはそれからでいい。
-------------------------------------------------------------------- ところで、
縁あって前の職場で同じ部署に所属していた女性と昨日お会いしたのだけど、
何か運命的なものを感じる出会いだった。
彼女とは職場でちょうど入れ違いくらいだったらしいので、名前しか知らなかったのだが
私のこの度の門出に際して、お世話になっているコーチが紹介してくれた。 福岡にいながらして、東京で同じ会社に勤めていたという属性の人に出会う事自体珍しいけど、 職場だけでなく、そこで何を感じたか、プライベートでどんな人と出会って深く関係を持ってきたか、どんな理由で今の仕事をしているのか、などなど、話をすればするほど心の距離が近くなっていった気がする。 単純にもっと一緒に時間を過ごしたいと思ったのもあるし、これからの福岡での人脈作りの確実なキーパーソンとなるであろう彼女との縁を、今後さらに深めていきたいと思っている。
接触回数は1回だけれども、類似性の心理学というのは、「共通項の数」ではなくてその類似性の「深さ(比率)」で、その相手に好意を持つ度合いが変わるのだという。
類似性の深さね~。
これはある種一方の勝手な思い込みのところもあるけど、自分が感じた感覚的なもの(だけ?)を信じてる私にとっては、とっても衝撃的な一日だった。 美味しいお魚が食べれるお店に連れて行ってくれて、話を傾聴してくれた彼女に感謝。
なんかえらい深いことを。。。
ともあれ、自然に理解環境ってのは、本当にいいねぇ。
投稿情報: maltambassador | 2010/04/14 13:52
自然の近くでめぐらす思考は生物として本質的な気がしますよね。
2006年くらいから養老孟司さんとかが主張している現代都会人の参勤交代
(田舎で暮らせ、というやつ)は深いと思います。現代の都会ホワイトカラーに圧倒的に足りない「生態系として健康なsustainableなリズムを地球が保つために必要な視点」は、実は田舎にある。http://www.nikkei.co.jp/biod/columns/index.aspx?n=MMWEa3000018052009&cp=1
今更だけど、ダイバーシティ経営!とか言う前に
自分が生物の多様性を感覚的に気づいている必要があるなと思ったり。
多様な生物がsustainableに共生するため「してはいけないこと」というのが自然の近くにいると感覚的に身に付くんだと思います。
人・組織に関わって生きていく上で、本質的に重要なポイントは自然の中にアリ(?)
投稿情報: Sumeba-Miyako | 2010/04/14 14:56