大晦日から山に降り続く雪の中、チェーンタイヤで山の坂を昇り降りするのに四苦八苦しながら、
地元産の食材をたっぷり買い込んで、地味にお吸い物や鍋などを作り夫とひっそりと山の中で過ごした地味な年越し。もちろん蕎麦も食べた。
元旦は夫の両親の住む家で、4人で御屠蘇を回し、夫の母の手料理おせちを囲み、夫の両親の出身地である鹿児島と宮崎の伝統がミックスされた白菜としらす入りのすまし汁お雑煮を食べてから、
大宰府にある親戚の家で親族新年会。私の実家では正月の親族の集まりに子供が参加していたのは小学校の終わり位まで。母の作るお雑煮は毎年食べていたし作れるけれど、お節料理の味など全く受け継がずに嫁に行ってしまった。キャー恥ずかしい。教わらなかった、のではなくて、私が学ぼうとしなかった、だけかもしれない。今からでも取り戻そう。自分の母の技を。母の実家のしきたりや習慣も。
花嫁修業など全く興味のなかった私が今更何を、、、という感じだが、妻として嫁として母としてと、自分の役割が増えていくにつれて、修行をしていけばいいではないか。人はいくつになっても変われる。
とにもかくにも、20年以上も前の正月の過ごし方が、こちらにきて蘇った。
ありきたりで古臭い事を言うようだけど、
結婚は、当人同士とはいえ、家と家の繋がりだ。面倒な部分もあるけれど、その面倒くささを引き受けるからこそ、異質な文化の中から得られるものもある。新しい家族が増える事によって、知らない習慣やしきたりを知り吸収するという経験がどんどん出来る。
結婚前一人暮らしの時は、土日も構わず深夜まで働いて、なんでも使い捨て、使い捨て、便利な方がいい、時間がかからないほうがいい、新しいほうがいい、と思っていた。エコとは程遠い。一時期冷蔵庫の中身はウィダーインゼリーとカロリーメイトと野菜ジュースで埋め尽くされているような生活。今考えると恐ろしい。
今は義母と母から教わるものを受け継ぎ、それを代々受け継いでいくことの責任を感じる。冷蔵庫のものも無駄なく使いまわそう、洗剤はなるべく天然素材で、とか、新しいものは買い足さずに義母の集めた食器や母から送られてきたキッチン用品を使おう、とか自然と考える。せっかく前の世代から残っている良いモノがあるのなら、自分の趣味で自己満足の為に買い足す必要はない。
家族の想いと歴史を繋いでいくこと。
生まれ育った家を巣だって新しい家族を創っていくというのは、そういう役目を必然的に担うということなのではないだろうか。
お腹にいる新しい生命にも、繋がっている命の軌跡を出来るだけ残して伝えていけるように、世代間で価値観が断絶してしまって無駄な浪費をしないように、エコ精神を保っていきたい。
そんなことを考えたお正月。
昔から温故知新というが、本当に本質が凝縮された言葉だなと思う。僕は、温故という文字と知新という文字の間に、人間が立っているような印象でとらえている。
単純に温故と知新をバランスよくやるという平たい話ではなくて、個人の中でそれらの混じったものが生まれていくダイナミックなことなのだと思う。
ふと、そんなことが改めて頭に浮かんだ。
投稿情報: maltambassador | 2011/01/15 09:19
新しきを知っているだけの人生だと、
そこから生まれるものはどんどん本質から離れてしまったりするけれど
古きに触れる機会があることによって、
少しづつ、「過去を知った上で未来を描く」という事の大事さがわかってきます。感謝感謝。
投稿情報: Sumeba-Miyako | 2011/01/25 00:35
久しぶりに見ました。
みやちゃん、今年は楽しみだね、本当にオメデトウ!
ご家族の事も福岡での生活で出会っている色んな事も、時代を跨いでいる感覚なのかなーという気がしています。
時間の幅が広がっていいね^^
暖かくして体はくれぐれも大事にね。また報告楽しみにしてます
投稿情報: S.sayaka | 2011/02/03 03:35
さやか
ありがとう♪
土着系の人々ってとっても深く伝統・文化を大事に生きていて
逆に刺激になります。
是非嬉しい報告が出来るようにあと4カ月がんばりまっす
投稿情報: Sumeba-Miyako | 2011/02/03 23:35